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 西陣織を中心とする絢爛豪華な染織は鴨川の流れとともに京都を象徴するものであり、その沿革は古都千年の歴史と共にあるといっても過言ではない。
 京都盆地が日本の歴史の舞台に登場した5・6世紀の頃、大陸から登場した帰化人の豪族秦氏(秦河勝)の一群が、山城の地を開拓した。彼らはその洛西の太秦(うずまさ)を本拠地として、新しい農耕技術ばかりではなく、養蚕と絹織の法をここに移した。                    第五十代、桓武天皇の平安遷都の大きな背後の力となったのも秦氏の経済力であった。平安王朝の宮廷機織工業もこの伝統のうえに花開いたものである。
 室町時代、応仁の大乱によって京都の町は兵火に焼かれ、大舎人町も荒廃し、織工達も一時、和泉の堺の町などに離散疎開した。しかし戦乱が終わると、織手達は京都に戻りその一部の者は白雲村、(現在の今出川新町北側)辺りで練貫等の絹帛を織りだし、その集団を練貫方と呼んだ。
 また他の一群は山名宗全の西軍の本陣の跡である大宮辺りを中心に、大舎人座を作り戦乱で中絶した大舎人の綾を復活した。これが後に西陣織と呼ばれるようになった。
幕末維新後の動乱と東京への遷都は西陣ばかりでなく京都の町そのものを一時衰えさせた。しかし明治の新時代と共に西陣は不死鳥のごとく甦った。京都府による保護育成も加えられたが、西陣ではいち早く洋式工業の積極的な移植を企て、明治5年には佐倉常七らを欧州に留学させ、フランス、オーストリアのジャカード、バッタン等の新しい技術を導入した。
 明治20年前後には洋式技術は西陣に定着した。こうして西陣は日本絹織業の近代的な技術革新の発祥地となったのである。
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